英国誌「The Economist」を読む人

イギリス「エコノミスト誌」を読んでいます。

南アフリカのアフリカーンス語 Oct 2021

 

The Economist, Oct 16th 2021

 

Middle East & Africa

South Africa’s Afrikaans press

Ja to change

 

南アフリカアフリカーンス語

 

 

そのウェブサイトを一目みれば、南アフリカで最高部数を誇る雑誌Huisgenootが歴史的意義を誤って伝えていることがわかる。10月号で最も読まれた記事は、“Skokoomblik toe bruidegom se rug tydens onthaal breek”と“Vrou se oog per ongeluk met supergom toegeplak”である。これらのタイトルはアフリカーンス語であり、南アフリカでは12%の国民が話す言語である。「結婚式の最中に花婿の背骨が折れるという衝撃の瞬間」、「女性の眼が強力接着剤によって閉じられてしまった」といった内容だ。

 

現在のそれは創刊当初の内容とは、すっかり変わってしまった。ボーア戦争(1899-1902)後、歴史家Herman Giliomeeが「民族意識の確立」と言ったように、多民族であった南アフリカの中から主にオランダ移民の子孫らが、アフリカーナーという民族として結束した。そして1916年にHuisgenoot(Home companion)という雑誌が創刊された。雑誌のなかではアフリカーナーの歴史が英雄的叙事詩として描かれ、アフリカーナー文学が称賛された。そして学校の読解力テストで使われるようなアフリカーンス語が標準化された。

 

アフリカーナー民族主義は1970年代には人種差別へと移行し、文化的な週刊誌の発行部数は減少していった。他の人種差別と同様、南アフリカアパルトヘイトは不快で、偽善的で、偏狭であった。ある政治家が「悪魔の箱」と呼んだテレビは、1976年に国中に紹介された。夢想と派手さに対する抑圧された需要を満たすために。リニューアルされたHuisgenoot誌はそうした欲求を満たした。有名人の特集やパズル、レシピなどによって、アパルトヘイトの影を覆い隠した。それは白人のためのPeople誌のようなものだった。

 

 

「当時、政治をどのように取り扱っていたのかを見るのは苦痛です」と現在の編集者Yvonne Beyersは言う。しかし、それがHuisgenoot誌が当時の世相を写す手法であった。「われわれはまず南アフリカ人であり、アフリカーナーであることは二の次です」。白人の有名人は際立っていたが、レポーターは南アフリカのあらゆる階層の人々の言葉をとりあげた。最近では、テレビドラマのキャラクターにもなった有色人種2人の同性結婚を取り上げた。「20年前だったら、非難轟々だったでしょう」とMs Beyersは言う。「いかにアフリカーナーは多様化したか」を現在の雑誌の内容は物語っている。読者の44%は有色人種(アフリカーンス語を話す人々がほとんど)で、白人読者の42%をわずかに上回っている。

 

編集者はアフリカーンス語の監視者でありつづける。英語の造語や慣用句の翻訳に目を光らせている。アフリカーンス語の格言に「氷山の頂きにいるよりも、カバの耳であれ」というものがある。しかし、100年前と比べるとHuisgenoot誌は言語の多様性に対して寛容になっている。たとえば、南アフリカ固有の表現などを引用するようになった。Ms Beyersは言う、「われわれは現在生きている言語を大切にしているのです。1916年のアフリカーンス語ではなく」と。

 

 

エネルギー不足の今後 Oct 2021

 

The Economist, Oct 16th 2021

 

Leaders

Hydrocarbons

The energy shock

 

エネルギー不足の今後

 

 

来月、世界の指導者たちはCOP26サミットに集う。2050年までに二酸化炭素排出を正味ゼロにする目的だ。しかし、この30年間の取り組みにも関わらず、エネルギー不足の現実が突きつけられている。5月以来、石油、石炭、ガスのバスケット価格は95%も上昇している。サミットの主催国であるイギリスでは、石炭火力発電を再稼働させた。アメリカの石油価格は1ガロン3ドルに達した。中国とインドでは停電が発生している。ヨーロッパでは燃料供給をロシアに頼り切りであることが再確認された。

 

こうした騒動によって、現代社会にはエネルギーが大量に必要であることが思い知らされた。エネルギーがなければ、家庭は凍り、ビジネスは滞る。また、クリーンエナジーへの転換に関して、根深い問題が浮き彫りにされた。たとえば、再生エネルギーや脱化石燃料への不適切な投資、地政学上のリスク、電力市場の脆弱な蓄えなどなど。そうした問題を早急に解決しなければ、エネルギー危機は深刻化し、気候変動に対する政策も揺らいでしまうだろう。

 

エネルギーが不足するなどということは、2020年には考えられなかった。当時のエネルギー需要は戦後最大となる5%の落ち込みを記録しており、エネルギー産業はコストカットを余儀なくされていた。しかし、世界経済が再び活気づくと、需要は急増、備蓄量は危険なまでに低下した。石油在庫は通常レベルの94%、ヨーロッパのガス備蓄は86%、インドと中国の石炭は50%を切っている。

 

 

余裕のないマーケットは危機に脆弱であり、再生可能エネルギーは気候に左右されている。さまざまな混乱が起きている。ヨーロッパでは風力が不足し、ラテンアメリカでは旱魃により水力発電量が低下、アジアは洪水により石炭の輸送に支障をきたしている。世界は深刻なエネルギー不況に陥りそうである。ロシアとOPECが石油を増産すれば問題は解決するかもしれない。それでも、インフレは増進し、成長は鈍化するだろう。

 

3つの問題がある。まず、2050年までにネットゼロを達成するために必要なエネルギーへの投資が、50%程度しか行われていない。再生可能エネルギーへの投資を増加させなければならない。それに呼応して、化石燃料の需要と供給を、過不足の生じない範囲で低下させる必要がある。現在、一次エネルギーの83%を化石燃料が占めているが、いずれはゼロにしなければならない。石炭と石油は、炭素の排出が半分のガスに転換されるべきだ。しかし、法的な脅威と投資家サイドの圧力、規制当局への恐れなどから、化石燃料への投資は2015年以来40%も落ち込んでいる。

 

ガスは重要である。とりわけアジアでは、2020~2030年代におけるエネルギー転換の架け橋となる。一時的にガスへとシフトして、再生可能エネルギーの追い上げを待つ。パイプラインを用いて、液化天然ガスを輸入するのである。しかし、そうしたプロジェクトがほとんどない。調査会社のBernsteinによれば、液化天然ガスは現在、需要に対して2%不足しているが、2030年までには14%の不足になるという。

 

 

2つ目の問題は地政学である。先進民主国が化石燃料の生産をやめれば、プーチン大統領などの独裁国が、良心の呵責なく安い値段で供給をはじめることになる。OPECとロシアによる現在の石油生産は全体の46%であるが、2030年までには50%以上になる見込みである。ロシアはヨーロッパのガスの41%を請け負っているが、ノルドストリーム2パイプラインが開通すれば、その影響力は増大する。アジアの市場にも進出するだろう。供給を奪われるリスクは常に存在する。

 

最後の問題は、エネルギー市場の抱える欠陥である。1990年代からの規制撤廃により、多くの国々で国有のエネルギー産業から、電気とガスの価格が市場によって決定されるオープンマーケットへと移行している。供給業者らは価格を競い、高値のときに供給が増えることになる。しかし、化石燃料不足、独占的な供給者、不安定な自然エネルギーという新たな現実に苦しめられている。リーマン・ブラザーズが翌日物借入に依存していたように、エネルギー業者の中には家庭や企業に対して、不確かなスポット価格で販売するものもある。

 

今回のショックが、変化のスピードを鈍らせてしまう危険がある。今週、中国の首相、李克強はエネルギーの移行は「健全に、急がずに」行わなければならないと言っている(暗に、石炭を長く使えと言っている)。アメリカを含む西欧における世論は、クリーンエネルギーを支持しているが、高値をも覚悟しなければならない。

 

 

政府はエネルギー市場を設計し直す必要がある。より安全で大きな備蓄がなければ、不足時の穴埋めができない。不安定な再生可能エネルギーを補うこともできない。エネルギー供給業者も備蓄を増やすべきだ、銀行が資本をもつのと同様に。政府はバックアップエネルギーの供給契約に企業も参加させたほうがよい。備蓄のほとんどはガスの形だろうが、将来的にはバッテリーや水素の技術に移行するべきだろう。より多くの原子力発電所、または二酸化炭素の回収貯蔵は、信頼のおけるクリーンなベース電源として必須である。

 

供給源の多様化により、ロシアのような独裁的な石油国の力を弱めることができる。現在、LNGがその役割りを担っている。将来的に電力は国際的な取り引きが増えるであろうから、風力や太陽光などに恵まれた国々にも輸出の道は開けるだろう。現在、電力の4%しか国境を越えた取り引きがなされていない。ガスは24%、石油は46%が国境を越えている。海底に電力輸送網を巡らせるのはよいアイディアだ。クリーンエネルギーを水素の形にして輸送船に載せることもできる。

 

以上のことを成すには、エネルギーへの投資が必要であり、それは現在の2倍以上、年間4~5兆ドル(約440~550兆円)にのぼるであろう。投資家の視点に立てば、政策が定まっているとは思えない。多くの国々がネットゼロを標榜しながらも、そこに至る道筋を明示していない。エネルギー価格や税金などが上がるであろうことに対しても、国民の理解は得られていない。再生可能エネルギーに多大な補助金がでていることや、法的規制の障害によって、化石燃料への投資リスクが増大している。お手本のような答えとしては、排出を容赦なく削減させるようなカーボンプライスであること、企業はどういったプロジェクトが利益を生むのかを判断すること、エネルギー転換によって生じる損失を税金でカバーすることなどが挙げられる。しかし、排出ガスの5分の1しかプライシングの対象にされていない。今回のショックから学ばなければならない。COP26に参加するリーダーたちは誓約を守るために、エネルギー移行を潤滑に機能させる緻密な計画に取り組むべきだ。石炭で灯る電球のもとで集うのならば、なおさらだろう。

 

 

イギリスの街灯 Oct 2021

 

The Economist, Oct 9th 2021

 

Britain

Street Lighting

In the gloaming

 

イギリスの街灯

 

 

イギリスは、夜に街灯を灯しはじめた国の一つである。1782年、ドイツの随筆家Karl Philipp Moritzは夜のロンドンがお祭りのように明るいことに驚いている。訪れたドイツの皇太子は彼のために明かりが灯されているものと勘違いした。しかし、イギリスにおける街灯には賛否がある。パリの街灯が権力の象徴(革命においては敵が街灯に吊るされた)であるのに対して、イギリスのそれは住民と企業の義務であることが多い。今日でさえ、地方政府は街路を明るくしておく必要は法的にはない。

 

大都市のほかは、さほど明るくない。ここ10年ほどで、ナトリウムランプからLEDへと切り替えられた。LEDのほうが省エネであるうえ、歩道だけを的確に照らすことができる。しかし、それらが最大の明るさで照らされることは滅多にない。ハンプシャー州では2009年から明るさを25%としており、真夜中でも65%、住宅街では消灯される。ノースヨークシャーでは住宅地の開発に街灯を設置する必要はなくなっている。

 

街灯が減っていることにはいくつかの理由があるが、その一つは夜の美しさを阻害しないためでもある。保守党議員のAndrew Griffithはダークスカイのための議員連盟の議長をつとめている。彼はモロッコで、闇夜の本当の美しさに打たれたという。また、コウモリや蛾のためでもある。さらに、二酸化炭素の排出を削減するためにも節電は必要である。

 

 

しかし何より、節約のためである。電気代の高騰もあり、リンカンシャー郡議会は街灯への出費を過去10年で5分の一、460万ポンド(620万ドル、6億8,000万円)削減している。ロンドンのいくつかの街よりも節約している。リンカンシャー高速道路の責任者Richard Daviesは言う、住民たちの不満は、節約したお金が社会福祉や道路補修に回されていると聞くと小さくなるという。

 

一般的に、気候変動に関心があるのは若者や女性、左派の人々である。しかし、リンカンシャー郡議会の住民に対する調査によると、若い人ほど街灯を消すことに反対しているという。リンカーン大学の女子学生は、街灯を夜じゅう灯してほしいとロビー活動をするほどである。保守的な地方ほど、暗闇を愛する。労働党自由民主党が支配的な都会ほど、その傾向は薄い。サフォーク州のイプスウィッチでは、サラ・エヴァラードさんの殺害事件(3月にロンドンで誘拐された)もあって、夜はずっと街灯を点けておくことになった。

 

地方当局は、街灯を減らしても犯罪は増加しないと言う。おそらく、それは正しい。しかし、ロンドン大学でライトに関する研究をしているJemima Unwinによれば、人々は暗くなると出歩かなくなる(とくに夕方)という。そして、歩行者は直立しているもの(たとえば壁や他の歩行者)が照らされていることで安心感をえるという。LEDのようなスポット的な照明よりも、ナトリウムランプのように広域を照らすライトのほうが効果が高い。

 

現実的にどうなのか。大都市以外の人々が夜中に出かけることはほとんどない。たいていの住民は街灯がついているのか消えているのかも知らない、とイプスウィッチのカウンセラーAlasdair Rossは言う。ノースヨークシャーの電気工学責任者Paul Gilmoreは、郡が街灯を消すようになる前に、現地調査をおこなっている。夜中に歩き回っても、人も車もほとんどなかったという。キツネのために街灯があるようなものだった、と。

 

 

世界の株式市場の歴史 Oct 2021

 

The Economist, Oct 2nd 2021

 

Briefing

The world’s stockmarkets

Who’s up, Who’s down?

 

世界の株式市場の歴史

 

 

イギリスの歴史を見れば、この帝国の株式市場が低迷したことによる損失は避けがたかったように思える。しかし、この数世紀においてイギリスだけが浮き沈みを経験しているわけではない(大衆の人気をとるために株式を売却して資産価値を上昇させようとしたために)。世界の巨大取引所の運命は歴史上、揺れ動いてきた。ここ数十年では、2つの潮流が新たに起きた。アジアにおける株価の上昇と、テクノロジー部門の成長である。他国に比べ、イギリスへの打撃は大きく、下落を一層助長した。それでも、200年からなる株式市場の歴史から見れば、ちょっとした曲折にすぎない。

 

アメリカとヨーロッパの株式市場は19世紀にはいってからはじまった。ラテンアメリカの運河への投資、ロンドンにおける数百社による鉄道建設。歴史的統計をおこなうGlobal Financial DataのBryan Taylorは言う、1850年までにヨーロッパのほとんどの鉄道建設は終わり、イギリスの投資家たちの金はアメリカのそれへと向かった。イギリスの株式市場は、カナダ、インド、南アフリカ、オーストラリア、南アメリカなどの企業をつなぐパイプ役となった。

 

海外ベンチャーの資金集めの拠点はイギリスだけではなかった。20世紀の初頭までに、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリンの各所で、数百社の取り引きが同時に行われていた。とりわけアメリカの国内市場の成長は大きかった。アメリカ初の銀行が1791年に法人化されたとき、1,000万ドル(現在価値にして2億9,100万ドル、320億円)を調達した。その後、多数の銀行や保険会社の法人化があいついだ。1911年までの、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツの市場の合計価値は490億ドル(現在価値にして1兆4,000億ドル、154兆円)の高みに達した。一世紀前の175倍もの規模である。

 

 

2つの世界大戦ののち、ヨーロッパ市場は傷つき崩壊し、アメリカに支配的地位を明け渡した。戦争中、株式市場の多くは閉鎖された。取引所が開けたとしても、たび重なる価格制限などにより取り引きは限られたものにならざるをえなかった。通貨の価値は下落し、資本規制が課され、国境を越えた取り引きは煩雑をきわめた。ドイツや東欧の国々はハイパーインフレに陥り、共産主義の台頭もあって、ほとんどの投資家たちは一掃されてしまった。第二次世界大戦がおわって数十年後、各国政府は多くの産業を規制、国有化し、ヨーロッパでは株式資産が厳重な監視下におかれた。

 

アメリカへの挑戦者はアジアから現れた。世界的な回復は遅々としていた。資本と財の流れが第一次大戦以前の状態まで回復するには、1990年代まで待たねばならなかった。決定打となるのはアジアの輸出産業である。とりわけ日本の株式は華やいだ。1960年以前のアジア市場は世界の5%にも及ばなかった。それが1980年代にヨーロッパを凌ぐと、1989年にはアジアが世界市場の半分近くを占めるまでに至った。そのほとんどが日本の資産バブルによるものである。ところが2年後、日本のバブルは弾け、それっきりになってしまった。次にくるのは上海と深センであり、新たな金融大国として中国が台頭してくることになる。

 

現在、中国とアメリカが株式市場における中心である。金融データ提供社Dealogicによれば、2021年のアメリカにおけるIPOは750社であり、総価値は2,420億ドル(約26兆円)であり、中国(香港を含む)は427社、720億ドル(約8兆円)である。フランス、ドイツ、オランダ、イギリスはすべて合わせても450億ドル(約5兆円)にすぎない。

 

 

米中両国が優れているのは、IPOの数や現在価値のみではない。将来の成長が期待できる革新的な企業群がその中に含まれている。アメリカのハイテク5社、グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブックマイクロソフト、これらの合計はロンドン株式市場に上場している全1,964社の総計を上回る。

 

テクノロジー企業に頼りすぎることにも弱点はある。アメリカの場合は五指にたるほどの企業が株式の命運をにぎっていることになる。中国ではハイテク企業への取り締まりが幾度となく強化されており、投資家たちは戦々恐々としている。外国の株主にとって中国共産党の動向を読むのは至難の業である。イノベーション企業をもたない国々は、19世紀のイギリスの投資家たちに学ばなければならない。当時、鉄道を敷いていた企業こそが、時代の最先端にいたのである。

 

 

森林のパンデミック Oct 2021

 

The Economist, Oct 9th 2021

 

Britain

Woodlands

Treedemic

 

森林のパンデミック

 

 

最初の兆しは見落とされた。こちらで病み、あちらで倒れた。2021年にはわずかだったものが、またたくまに国中へと広がった。人間の場合と同じように、木々もまた小さな不安の種が、新たな病の到来を告げていた。無力なドングリがオークの巨木へと成長するかのごとく、小さな兆候が壊滅的な病魔に育ってしまった。

 

病で倒れたイギリスの木々がいったい何本におよぶのか、誰も知らない。何百万ヘクタールという大森林のなかでの出来事だ。西洋トネリコ、ニレ、オーク、ブナ、トチノキ、ハンノキ、カラマツ…、どこまでも病は広がり、枯れるものも多い。ロンドンでは秋の訪れをまたずに、トチノキの葉が縮みあがり、茶色くなって萎れた。デボンとカンブリアでは、病んだ西洋トネリコが、骨だけになった枝を空にかかげている。ダンフリーズとガロウェイでは、丘上のカラマツが倒れた。

 

木々のパンデミックである。一種ではなく多種の病原菌だ。穏やかなものもあれば、地形を変えるほどのものもある。オランダ・ニレ病が1960年代と1970年代にイギリスで流行したとき、国家的悲劇と形容された。だた、悲劇はこれだけでは終わらなかった。これからはじまるパンデミックの先触れでしかなかった。1960年代以降、20あまりの病魔がイギリスの木々を襲った。まだ40以上が海を渡っていない。それは、感染を鈍化させる努力のおかげである。監視ヘリコプターがイギリス上空を飛び回って、病気の兆候を見つけるや、即座に伐採の指令をとばす。

 

 

とある秋の日、イギリスの湖水地方、ウィンダーミア湖のほとり、グレート・ノット・ウッドは木漏れ日のなかにあった。いかにもイギリスらしい森だ。暗からず、深からず、それでいて文化の薫りが息づいている。ワーズワースはこの森を逍遥しながら、「これこそが自然の造形だ」と歓喜した。その造形美はいまや、脅威にさらされている。カラマツの突然死、2002年からイギリスではじまり、この森も例外とはならなかった。慈善団体the Woodland Trust のカンブリア地方責任者Heather Swiftは言う、半年もしないうちに、この森のカラマツはすべて枯れてしまうだろう、と。

 

この惨劇の理由はシンプルだ、木々は動けない。その種子であれば、鳥や動物に食されることにより、数メートルまたは数マイルは移動できるかもしれない。しかし、中つ国の物語やマクベスでなければ、植物自体はその場にとどまりつづける。他の生物の多くは毎年のように動き、移動するのだが。過去30年で、世界の園芸業界は急速に発展し、雑草などは陰に追いやられた。バーナムの森からダンシネーン・ヒルへと移動したように、森林もとどまってはいない。これは悪い兆候だ。

 

ポット苗を買うとする。一株だけ買ったと思うだろうが、そうではない。最近のthe Journal of FungiにおいてAlexandra Puertolasらは、イギリスとオランダで購入された苗木の土には、病原菌を含む有機物が90%含まれている、と分析している。苗木を買うということは、病原菌もまた購入していると考えたほうがよいだろう。

 

 

さらに悪いことには、苗木に含まれる病原菌は一地域だけのものではないかもしれない。イギリスの土に植えられるまでに、ヨーロッパ大陸を周遊旅行していることが多い。苗木のラベルには、生産地や生育地を記載する義務はない。西洋トネリコの胴枯病は2012年に規制が強化された、とキュー王立植物ガーデンの上級研究員Richard Buggsは言う。しかし、他の木々は長旅をしている。オランダで生まれた一本の苗木は、夏は成長がはやいイタリアへと送られ、帰国の際にドイツを通過し、イギリスへと輸送される。こうしたヨーロッパ周遊旅行によって、苗木には多種の病原菌がついてしまう。

 

苗木栽培のグルーバル化によって、各国ともに同様の問題を抱えている。しかし、イギリスほど深刻な国はない。なぜなら、イギリスには育苗場が少なく、天然の木々にも乏しい(改善しようと試みてはいるが)。苗木の輸入額は、1992年の600万ポンド(2019年には1,250万ポンド、1,600万ドル)から現在は9,300万ポンド(約14億3,000万円)へと、650%近く増加している。今年4月までの12ヶ月間で、イギリスでは425万本の苗木が新たに植えられている、とイギリスの森林組合は言う。慈善団体the Woodland Trustは、2025年までに5,000万本の苗木を栽植すると宣言している。

 

樹木の病気の潜在力をおもえば、これらの数字が小さく見える。イギリスには1億5,000万本の西洋トネリコの木々があり、その苗木はさらに多い。そして、それらのすべてが胴枯病に感染している可能性がある。感染した樹木の90~99%は枯れることになるだろう。枯れ木は除去しなければならない。道路や線路に覆いかぶさるような倒木はなおさらだ。こうした環境への損失は大きい。オックスフォード大学の研究によれば、150億ポンド(GDP比0.7%)が倒木らの始末に必要になるとのことである。

 

 

人類は千年にわたり森林を利用してきた。古代ローマ人はひと泳ぎしたあと、北アメリカの木々で暖をとった。キャプテン・クックボタニー湾(オーストラリア)から戻るときに、植物の標本を大量に持ち帰った。ローマの商品や探求者らは、材木と種子を運んだ。いまは、苗木として輸送されている。材木と違い、苗木の場合は動物を輸送することと似通っている(人間の移動もそうだが)。Mr Buggsは言う、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を植民地としたため、インフルエンザや水疱瘡がヨーロッパにひろまった。そうした病気に耐性がなければ、大惨事がひきおこされうる。

 

苗木の移動が少なければ、病気の拡散も少ない。そのためには国内の育苗場を増やし、輸入を減らさなければならない。イギリスはEUから抜けたことで、国境の植物検疫をさらに強化できる。犠牲はともなうだろう。しかし、病原菌によってもたらされるであろう惨禍に比べれば、被害は小さい。オックスフォードの研究によれば、苗木を含めたすべての生きた植物の輸入および輸出の額は2017年、3億ポンド(約460億円)相当だという。この数字は、西洋トネリコの胴枯病にかかるであろうコストの2%ほどにすぎない。木々は生きているということを再認識しなければならない。

 

 

ボルボの電気自動車 Oct 2021

 

The Economist, Oct 9th 2021

 

Business

Carmaking

Electric blue and yellow

 

ボルボの電気自動車

 

 

ボルボのスポーツカーには、青と黄色の小さな旗からトール・ハンマー型のヘッドライトまで、スウェーデンの伝統が息づいている。安全性と環境性能を謳ったスカンジナビアの洗練されたデザインは、ボルボをヨーロッパのみならず、中国やアメリカにまで行き渡らせた。さらなる躍進はつづく。10月4日のIPO(新規株式公開)に際し、ボルボ最高経営責任者Hakan Samuelssonは言った、「よりスウェーデンらしく、よりグローバルに」と。

 

スウェーデンに別れを告げ、ストックホルムに上場することで、ボルボノルウェーアイデンティティーが強化されることになるだろう。IPOによって、より広い世界へ、より幅広い投資家へ訴求することになる。変化の早い自動車業界を舵取りしていくため、その小規模な機敏性を活かしながら。Samuelssonは言う、吉利との関係は変わらない、と。中国の吉利は2010年にボルボをフォードから18億ドル(約2,000億円)で買い取って以来、筆頭株主の地位にある。ボルボと吉利は引き続き、コストと技術を共有していくという。

 

吉利が2018年にボルボIPOを諦めた表向きの理由は、中国と西欧間の貿易戦争であった。しかし実際のところ、投資家たちは当時のボルボに300億ドル(3兆3,000億円)の価値があるとは思っていなかった(今でこそ妥当に思える評価である)。フォードの元でボルボは苦しんだ。昨年のアメリカでの販売台数は37万4,000万台で、健全な経営のためには来年6月までの12ヶ月間で77万3,000万台を販売しなければならない。2025年までに年間1,200万台を目指しているが、それは達成可能な数字である。販売に関して、カーディーラーを通すのではなく、顧客に固定価格で直接販売するか、サブスクリプション(月々定額制)によるものを考えている。

 

 

より重要なことは、ボルボがEV(電気自動車)において他社を先んじていることである。これは顧客も投資家も認めるところだ。ボルボは2030年までに完全電動化を目指しており(他社の目標よりずっと早い)、内燃機関部門は別に独立させて、電動化に集中する予定である。さらにボルボは、スウェーデンのバッテリー企業Northvoltと提携してギガファクトリーを建築し、大量供給を可能にする計画だ。ボルボの半ば所有するEV専用メーカーPolestarは、特別買収企業の逆買収によって来年には上場するという(200億ドルの評価額を目指している)。ボルボの製造能力、販売およびサービス網を活かして、Polestarはバッテリーの生産を請け負う。多くのEVスタートアップ企業は、こうした地盤をもっていない。

 

吉利はボルボを所有していることで、10年後には利益を手にするだろう。中国企業は支配的な地位を保つだろうが、新株発行によってカーメーカーから輸送技術グループへと再編成していくだろう。そうしたグループは、輸送サービスや自律運転車などに必要となるスマートフォンや衛星なども手掛けるはずだ。ボルボは30億ドル(3,300億円)近くをIPOによって調達するだろう。Mr Samuelssonは言う、カーメーカーは電動化の時流にのらなければならない。ライバル企業もまたそうすることだろう、と。

 

 

水素の可能性 Oct 2021

 

The Economist, Oct 9th 2021

 

Leaders

Climate change and innovation

Hydrogen’s hope and hype

 

水素の可能性

 

 

1937年のヒンデンブルク号爆発事故(Led ZeppelinⅠのジャケットで有名)以来、水素エネルギーは議論の的である。推進派は、水素こそ車と家に必要なエネルギーを供給する低炭素の救世主だと主張する。水素エネルギーの登場によって、エネルギー界の地図は書き換えられるだろうとまで言う。懐疑派は、1970年代以来の水素への投資は、水素ガスの欠陥が露呈されることにより泣く泣く終了するだろうと言う。実際のところ、われわれの答えはその中間にある。水素の技術により温暖化ガスの排出は2050年までに現在より1割ほど縮小できるだろう。これは望みうる最高の結果ではないかもしれないが、エネルギーの取引規模を考え合わせれば、贅沢すぎるくらいであろう。

 

水素は石油や石炭のような主要なエネルギーとはならない。むしろ電気のようにエネルギーの運び手として、またはバッテリーのようにエネルギーの貯蔵場として用いるのが最善である。水素は水を分解してつくることができるので、再生可能エネルギー原子力と同じく、低炭素のエネルギー源になりえる。その製造方法は今のところ非効率なうえ高くつくが、コストは下がりつつある。水素は化石燃料からつくりだすこともできる。しかし、その過程で大量の汚染物質が放出されてしまうので、カーボンを固定分離する技術が必修となる。水素はほかの燃料に比べて燃えやすく、かさばる。熱力学の法則によれば、主要エネルギーを水素に、そして水素を使用可能なエネルギーに変換する際には、必ず不要物も発生してしまう。

 

水素ガスは厄介な歴史をもつ。1970年代のオイルショックによって水素エネルギーの研究は注目を浴びたが、たいした成果は得られなかった。1980年代、ソ連は水素エネルギーを用いた旅客機を飛ばしたが、その初飛行は21分で終わってしまった。

 

 

今日の気候変動によって、新たな熱狂の波がおこりはじめている。350以上の巨大プロジェクトが進行中で、累積投資額は2030年には5,000億ドル(約55兆円)に達する見込みだ。モルガン・スタンレーは2050年までに水素の年間セールス額が6,000億ドル(約66兆円)になるだろうと見積もっている。現在のそれは1,500億ドル(約16兆円)で、主に肥料製造を含む産業用途によるものである。インドでは近々水素のオークションが開催される予定で、チリでは国有地での製造に入札されている。イギリス、フランス、ドイツ、日本、韓国など多くの国々には、国家的な水素計画がある。

 

こうした熱狂にあって、水素を用いてできることとできないことをハッキリさせておこう。日本と韓国の企業は水素エネルギーの車を販売しようとしている。しかし、電気自動車のほうが2倍もエネルギー効率が高い。ヨーロッパの国のなかには、家庭に水素パイプを配管しようとしている。しかし、ヒートポンプのほうが効率的であり、パイプの種類によっては水素ガスを安全に供給できないかもしれない。エネルギー関連の大企業や産油国のなかには天然ガスを用いて水素を製造しようとしている。しかし、その際に発生するカーボンを適切に処理しなければ、排出ガスの削減に寄与することはない。

 

水素にしかできないこともある。複雑なケミカル製造や、電気を使えない高温環境などだ。鉄鋼企業は排出ガスの8%を吐き出している。それは風力では代替できないコークス炭と溶鉱炉によるものだが、水素ならばグリーンができる可能性がある。ダイレクト・リダクションという工程であり、スウェーデンの合弁企業Hybritは8月、この製法によるクリーンな鉄鋼を世界で初めて販売をはじめた。

 

 

産業輸送においても活躍の場がある。たとえばバッテリーではまかないきれない長旅などである。水素トラックは電気自動車よりも燃料補充が速やかであり、積荷スペースも広くとれるうえに、より長い距離を走れる。アメリカの企業Cumminsは水素に賭けている。水素による燃料は、航空機や船舶などにも有用だとされている。フランス企業Alstomは水素を動力源とした機関車をヨーロッパの線路に走らせている。

 

さらに水素は他のエネルギーを貯蔵して輸送することを可能にする。再生可能エネルギーは無風や曇天には無力であるが、水素の形に変換しておけば安価な長期保存が可能であり、必要に応じて電力に戻すことができる。ユタ州発電所では地下施設に水素ガスを貯蔵し、カリフォルニア州に供給している。太陽光や風力に恵まれた地域でも、電力の輸送手段がない場所がある。そんな場所でもエネルギーを水素の形にすれば輸出することができる。チリやモロッコなどは世界中に「太陽」を船出させようとしている。

 

水素には大金が流れ込んでいるので、水素の用途はさらに広がるだろう。主に民間企業に仕事はまかされているが、政府サイドにもできることがある。一つは偽グリーンを取り締まることだ。二酸化炭素を回収せずに汚染燃料から水素を製造しても、環境にとって良いことはない。水素の製造における全行程の排出ガスを明らかにするために、新たなルールが必要だ。国境を越えた取り引きにも対応するため、国際的な合意も必要となるだろう。

 

政府は、水素に関わる様々な業態を取りまとめる中心拠点をつくるべきだ。そうすることによって、似たような施設の重複を避けることができる。すでにイギリスのハンバーサイド、オランダのロッテルダムなどでは、そうした拠点ができつつある。水素の利用には限界もあるが、よりクリーンなエネルギーとして重要な役割を担わなければならない。