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世界の株式市場の歴史 Oct 2021

 

The Economist, Oct 2nd 2021

 

Briefing

The world’s stockmarkets

Who’s up, Who’s down?

 

世界の株式市場の歴史

 

 

イギリスの歴史を見れば、この帝国の株式市場が低迷したことによる損失は避けがたかったように思える。しかし、この数世紀においてイギリスだけが浮き沈みを経験しているわけではない(大衆の人気をとるために株式を売却して資産価値を上昇させようとしたために)。世界の巨大取引所の運命は歴史上、揺れ動いてきた。ここ数十年では、2つの潮流が新たに起きた。アジアにおける株価の上昇と、テクノロジー部門の成長である。他国に比べ、イギリスへの打撃は大きく、下落を一層助長した。それでも、200年からなる株式市場の歴史から見れば、ちょっとした曲折にすぎない。

 

アメリカとヨーロッパの株式市場は19世紀にはいってからはじまった。ラテンアメリカの運河への投資、ロンドンにおける数百社による鉄道建設。歴史的統計をおこなうGlobal Financial DataのBryan Taylorは言う、1850年までにヨーロッパのほとんどの鉄道建設は終わり、イギリスの投資家たちの金はアメリカのそれへと向かった。イギリスの株式市場は、カナダ、インド、南アフリカ、オーストラリア、南アメリカなどの企業をつなぐパイプ役となった。

 

海外ベンチャーの資金集めの拠点はイギリスだけではなかった。20世紀の初頭までに、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ベルリンの各所で、数百社の取り引きが同時に行われていた。とりわけアメリカの国内市場の成長は大きかった。アメリカ初の銀行が1791年に法人化されたとき、1,000万ドル(現在価値にして2億9,100万ドル、320億円)を調達した。その後、多数の銀行や保険会社の法人化があいついだ。1911年までの、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツの市場の合計価値は490億ドル(現在価値にして1兆4,000億ドル、154兆円)の高みに達した。一世紀前の175倍もの規模である。

 

 

2つの世界大戦ののち、ヨーロッパ市場は傷つき崩壊し、アメリカに支配的地位を明け渡した。戦争中、株式市場の多くは閉鎖された。取引所が開けたとしても、たび重なる価格制限などにより取り引きは限られたものにならざるをえなかった。通貨の価値は下落し、資本規制が課され、国境を越えた取り引きは煩雑をきわめた。ドイツや東欧の国々はハイパーインフレに陥り、共産主義の台頭もあって、ほとんどの投資家たちは一掃されてしまった。第二次世界大戦がおわって数十年後、各国政府は多くの産業を規制、国有化し、ヨーロッパでは株式資産が厳重な監視下におかれた。

 

アメリカへの挑戦者はアジアから現れた。世界的な回復は遅々としていた。資本と財の流れが第一次大戦以前の状態まで回復するには、1990年代まで待たねばならなかった。決定打となるのはアジアの輸出産業である。とりわけ日本の株式は華やいだ。1960年以前のアジア市場は世界の5%にも及ばなかった。それが1980年代にヨーロッパを凌ぐと、1989年にはアジアが世界市場の半分近くを占めるまでに至った。そのほとんどが日本の資産バブルによるものである。ところが2年後、日本のバブルは弾け、それっきりになってしまった。次にくるのは上海と深センであり、新たな金融大国として中国が台頭してくることになる。

 

現在、中国とアメリカが株式市場における中心である。金融データ提供社Dealogicによれば、2021年のアメリカにおけるIPOは750社であり、総価値は2,420億ドル(約26兆円)であり、中国(香港を含む)は427社、720億ドル(約8兆円)である。フランス、ドイツ、オランダ、イギリスはすべて合わせても450億ドル(約5兆円)にすぎない。

 

 

米中両国が優れているのは、IPOの数や現在価値のみではない。将来の成長が期待できる革新的な企業群がその中に含まれている。アメリカのハイテク5社、グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブックマイクロソフト、これらの合計はロンドン株式市場に上場している全1,964社の総計を上回る。

 

テクノロジー企業に頼りすぎることにも弱点はある。アメリカの場合は五指にたるほどの企業が株式の命運をにぎっていることになる。中国ではハイテク企業への取り締まりが幾度となく強化されており、投資家たちは戦々恐々としている。外国の株主にとって中国共産党の動向を読むのは至難の業である。イノベーション企業をもたない国々は、19世紀のイギリスの投資家たちに学ばなければならない。当時、鉄道を敷いていた企業こそが、時代の最先端にいたのである。