英国誌「The Economist」を読む人

イギリス「エコノミスト誌」を読んでいます。

南アフリカのアフリカーンス語 Oct 2021

 

The Economist, Oct 16th 2021

 

Middle East & Africa

South Africa’s Afrikaans press

Ja to change

 

南アフリカアフリカーンス語

 

 

そのウェブサイトを一目みれば、南アフリカで最高部数を誇る雑誌Huisgenootが歴史的意義を誤って伝えていることがわかる。10月号で最も読まれた記事は、“Skokoomblik toe bruidegom se rug tydens onthaal breek”と“Vrou se oog per ongeluk met supergom toegeplak”である。これらのタイトルはアフリカーンス語であり、南アフリカでは12%の国民が話す言語である。「結婚式の最中に花婿の背骨が折れるという衝撃の瞬間」、「女性の眼が強力接着剤によって閉じられてしまった」といった内容だ。

 

現在のそれは創刊当初の内容とは、すっかり変わってしまった。ボーア戦争(1899-1902)後、歴史家Herman Giliomeeが「民族意識の確立」と言ったように、多民族であった南アフリカの中から主にオランダ移民の子孫らが、アフリカーナーという民族として結束した。そして1916年にHuisgenoot(Home companion)という雑誌が創刊された。雑誌のなかではアフリカーナーの歴史が英雄的叙事詩として描かれ、アフリカーナー文学が称賛された。そして学校の読解力テストで使われるようなアフリカーンス語が標準化された。

 

アフリカーナー民族主義は1970年代には人種差別へと移行し、文化的な週刊誌の発行部数は減少していった。他の人種差別と同様、南アフリカアパルトヘイトは不快で、偽善的で、偏狭であった。ある政治家が「悪魔の箱」と呼んだテレビは、1976年に国中に紹介された。夢想と派手さに対する抑圧された需要を満たすために。リニューアルされたHuisgenoot誌はそうした欲求を満たした。有名人の特集やパズル、レシピなどによって、アパルトヘイトの影を覆い隠した。それは白人のためのPeople誌のようなものだった。

 

 

「当時、政治をどのように取り扱っていたのかを見るのは苦痛です」と現在の編集者Yvonne Beyersは言う。しかし、それがHuisgenoot誌が当時の世相を写す手法であった。「われわれはまず南アフリカ人であり、アフリカーナーであることは二の次です」。白人の有名人は際立っていたが、レポーターは南アフリカのあらゆる階層の人々の言葉をとりあげた。最近では、テレビドラマのキャラクターにもなった有色人種2人の同性結婚を取り上げた。「20年前だったら、非難轟々だったでしょう」とMs Beyersは言う。「いかにアフリカーナーは多様化したか」を現在の雑誌の内容は物語っている。読者の44%は有色人種(アフリカーンス語を話す人々がほとんど)で、白人読者の42%をわずかに上回っている。

 

編集者はアフリカーンス語の監視者でありつづける。英語の造語や慣用句の翻訳に目を光らせている。アフリカーンス語の格言に「氷山の頂きにいるよりも、カバの耳であれ」というものがある。しかし、100年前と比べるとHuisgenoot誌は言語の多様性に対して寛容になっている。たとえば、南アフリカ固有の表現などを引用するようになった。Ms Beyersは言う、「われわれは現在生きている言語を大切にしているのです。1916年のアフリカーンス語ではなく」と。