英国誌「The Economist」を読む人

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ボリビア、恐竜の足跡 Aug 2021

 

The Economist, Aug 25th 2021

 

The Americas

Bolivia

A palaeontological paradox

 

ボリビア、恐竜の足跡

 

 

Mario Jaldinは、1950年代、南米ボリビアのトロトロ(Torotoro)という村で育った(標高2,676m、アンデス山脈)。Mr Jaldinは、村はずれに巨大な三つ指の足跡(three-toed footprints)があるのを見つけた。まるまると太った指先に、鋭い鉤爪、その足跡はまっすぐ進んだかと思えば、急に向きを変えている。まるで、その恐竜の気が変わったように。Mr Jaldinの祖父は、子どもが夜遅くまで出歩くのを嫌って、こう言った。「夜になるとモンスターがやって来る。恐ろしいバカ力で、硬い岩にも足跡を残していくのだ」と。

 

1984年、イタリアの古生物学者(palaeontologist)がその謎を解明した。足跡の持ち主は「恐竜(dinosours)」だった。

 

 

その後も、「足跡遺跡(tracksites)」からは似たような発見がつづいた。ボリビアで発見された恐竜の足跡は15,000以上、世界のどの場所よりも多い。有史以前、恐竜たちはボリビアをうろついていた。長い首をもった草食恐竜(sauropods)、背中にトゲをもつアンキロサウルス(ankylosaurs)、そして二本足で歩いた肉食恐竜(theropods)。足跡は数千kmにもわたって連なっている。「あるものは途中で死んだ」と、Bernardino Mamani(La Pazの自然史博物館)は言う。

 

 

ブラジルやチリ、アルゼンチンと違い、ボリビアには恐竜の移動ルート(migration route)、「恐竜のハイウェイ(dinosaur highway)」があった。ボリビアではまだ恐竜の骨が見つかっていない。このパラドックスは自然の出来事とも言えるし、人間の仕業とも考えられる。

 

恐竜は2億5,200~6,600年前の中生代(Mesozoic era)を生きた。ボリビア中生代の岩石は少ない。構造プレートの移動により、アコーディオンのように折りたたまれた地層が残されている。スイスの古生物学者Christian Meyerは、ボリビアのスクレ(Sucre)という町の近くの石灰岩採掘場Cal Orck’oで、12,000もの足跡を研究している。ここの石灰岩は垂直に切り立っており、足跡が露出している。もしかしたら骨も出てくるかもしれない。しかし、中生代の岩石はなかなか深い場所にあり、発掘も困難である。専門家らが言うには、かつてトロトロ(Torotoro)は強アルカリ性の湖に囲まれていたという(ちなみに、トロトロとはケチュア語で泥を意味する)。アメリカ自然史博物館のJohn Flynnによれば、そのような環境は足跡を残すのには最適だが、骨を残すには最悪の場所だそうだ。

 

 

発掘の困難は、人為的なものでもある。ボリビアは、南米ではベネズエラの次に貧しい国家だ。古生物学者はほとんどおらず、資金にも乏しい。Mr Flynnは言う、「もっと掘り進めなければ、化石を発見することはできない」。

 

他国と同様、ボリビアで初めて化石が発見されたのは偶然によるものだった。石油と鉱山の地質学者が調べたところによると、それは4億8,500年前の三葉虫(tirlobite)で、一万年以上まえに生息していたアルマジロと近縁にあった。Mr Meyerのような、足跡化石専門の外国の古生物学者たちが、ボリビアを本で紹介して以来、ボリビアは恐竜化石のメッカとなった。その結果、土地の人々も関心をよせるようになった。

 

 

南米の他の国々がサイエンス委員会を設立して、発掘調査や大学での古生物学の講義に資金を投じていた一方、ボリビア政府は、いくつかの博物館を建てただけだった。そのうちの自然史博物館は26,000の標本を収蔵していたが、10年前に建物の崩壊がはじまって以来、物置にされてしまっている。

 

博物館の中では、狭い事務室にいたMr Mamaniが、陳列棚に窮屈そうにならぶ大骸骨(femur)や歯牙(tusk)を指差している。南米の象と呼ばれるマストドンmastodonのものだ。彼の担当は脊椎動物(vertebrate)で、同僚は無脊椎動物(invertebrates)である。Mr Mamaniはため息をつく、「専門分野を研究する暇がないんだ」。来館客のGiovanni Riosは十代の頃から博物館に入り浸っており、FosiBolというアマチュア古生物学クラブの一員だ。しかし、最近では週末だけしか恐竜の調査ができていない。普段は建築の仕事をしている。

 

 

ボリビアの恐竜愛好家たち(dinosaur-lovers)は、素人にしろプロにしろ、外国の科学者たちががボリビアの化石を持ち去ってしまうことに憤りを感じている。しかしながら、ボリビアにはそうした化石を分析し、管理する設備も人員も不足している。設備を整えるのに、それほどの資金は必要ない。国立の石油会社で働く、ボリビア初の古生物学者Mario Suárezは、こう言う。サンタクルスの浅い地層を調査するくらいなら、小さなチームを6~7ヶ月、20,000ドル(220万円)ほどで雇える。実際に彼はそのエリアで2009年、恐竜の骨を発見している。それは白亜紀(Cretaceous period)のワニのような骨だった。「われわれは表面をひっかいただけだったんだがね」と、彼は言う。。

 

政府による投資は期待できない。ボリビアには他に喫緊の課題が山積している、とMr Mamaniは言う。「古生物学じゃ、腹はふくれんからな」。前大統領Evo Moralesの数年間、科学副大臣が古生物学者と仕事をした。まずトロトロとスクレをつなぐ道路を舗装し、「恐竜の道(dinosaur route)」という本を出版した。しかし、このプロジェクトは政争とコロナのために中断してしまった。

 

 

Cal Orck’oを最近訪れたところ、石灰岩の採掘作業の音がやかましく、ツアーガイドの声も聞こえなかった。米州開発銀行(The Inter-American Development Bank)は2006年、ビジターセンターの建設に資金を提供したが、採石場の拡張とともに移転を強いられそうになっている。古生物学の遺跡を保護するための法律があるにもかかわらず、2010年、一部の岩場が崩れ落ち、一番人気のあった恐竜の足跡が失われてしまった。それは二頭の恐竜が並んで歩いている足跡だった。

 

地元の人々は、古生物学の可能性に気づきはじめている。トロトロに建ちならぶ小さなホテル群は、このボリビアで最も人気のある国立公園にアクセスするためのものである。かつては祖父のモンスター話に恐怖したMr Jaldinも、いまや立派なガイドの一人だ。69歳にしてなお溌剌として、恐竜の足跡のあいだを飛び跳ねている。最近は、土地の人々も足跡を見つけるようになった、と彼は言う。トロトロ近くのAnzaldoという村では、ある農夫が牛を放牧しているときに、妙に「軽い足跡(light-footed)」を発見した。地元の古生物学者Germán Rochaの説によれば、陸上の恐竜も泳ぐことができたのではないか、とのことだった。

 

 

The Economist, Aug 25th 2021

 

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